ビジネス

2023年2月22日 (水)

「この程度の業界」だと思われたいのか?

どの業界にも言えることかも知れないが、一つの仕事を長く続けていると、それに関連する事象にはたいへん該博になる反面、「あなたはこんな良識もわきまえないのか?」と周囲から指摘されるほどの、世間知らずになってしまうことがある。

「著作権」に関する知見もその一つだ。

私にはマイナーながら、だいぶ前に出版された自著本がある(画像はその一つ)。

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もし、誰かがこの著書の一節をまるまる複製して、その画像を拡散したらどうなるだろうか? それを見て「興味深いことが書いてあるから、購入しよう」と思ってくれる人もいるかも知れない。しかし大半の人たちは「一節をタダで読めたからもうけもの!」と考え、この本を購入してくれないだろう。

つまり、画像を拡散した人は、本来収入が入るべき出版社、さらに著者(この本については、原稿料をいただいているので、当面、私に直接的な損失はない。しかし自分が著述した内容が全く脈絡のない場面で出回るとしたら、それは大きな問題であるが...)の権利を不当に奪っているのだ。

さて、介護業界に関連する朝日新聞の記事が、最近SNSで話題になった。

この記事は本来、同紙を有料で購読している人、およびネット記事の有料会員になっている人だけが、全文を読むことができる。知りたい人はお金を払って情報を手に入れる。当然のことだ。

ところが、私のFacebook友達になっている複数の方が、購読者しか読めないはずの記事全文、または主要な部分を転載していた。

そこで、何人かの方々に「著作権について許諾を得ていますか?」等の確認のコメントやメッセージを入れてみた。お一人の方とはやりとりができ、引用したことを「反省している」との返事をもらい、趣旨を理解してもらえたと思われるが、他の方々からはだんまりである。それどころか、業界の多くの人たちによって「全文」が次々とシェアされており、誰でも読める状態になっている。おそらく、ほとんどの人たちは、朝日新聞社の許諾を得ずにシェアしているものと推察される。

これは記事の剽窃であり、朝日新聞社の「著作権」への侵害にほかならない。

介護従事者は高齢者・障害者などの他者の権利を守るのが仕事であるはずだ。一人では生活できない人たちに対し、度合いの違いこそあれ、直接・間接に側面的な最善の支援を行い、人として当然に希求する権利がある「望ましい生活」を実現してもらうのが、私たちの業務の基本にある。

その介護従事者が、たとえ相手が巨大なメディアであったとしても、他者(社)の権利を侵害しているのであれば、自分たちの仕事の矜持もへったくれもない。待遇の劣悪さを改善してもらうべく国や社会へ働き掛けなければならないのに、守るべき社会規範を守らなければ、主張していることも響かない。

「介護って、この程度の業界なんだね?」と思われたいのだろうか?

特に新聞記事は悪意なく勝手に引用してしまいがちであるが、非公開の記事はルール(日本新聞協会)にのっとって扱わないと、あとで新聞社から料金を請求される可能性がある(そのエントリーは非営利でも、何らかの形で営利に結び付くと判断された場合である)。今回、上記の記事を転載したすべての人は、手元に請求書が送られてくることを覚悟しなければならない。

まず、守るべきものは守ろう。そうしてこそ、自分たちの権利も社会から守ってもらえるのだ。

2020年12月29日 (火)

チャンスを生かして結果を出す

自分が若い時期に比べると、ネットが急速に普及して情報伝達が全く様変わりしてしまった現代、各界の若い人たちの活躍をリアルタイムで見聞きすることができる。起業して最先端の変革に取り組んだり、非営利な公益活動へ自主的に参画したり、スポーツや頭脳競技で一流どころの仲間入りをしたり、各地で活動する青年たちの姿に接すると、日本の次世代への期待は明るいものがある。まだまだ捨てたものじゃないな、と感慨深い。

「早熟」と呼ぶのが適切かどうかわからないが、ビジネスでは仁禮彩香氏(23)のように14歳で教育事業の会社を興して新風を巻き起こしている女性もいる。他方、公益活動では金子陽飛氏(17)のように高校在学中ながら町内会長を担う男性も登場している。もちろん、スタートが若ければ良いわけではないが、若者たちの活躍は同世代の人たちにも刺激になるので、それは大いに歓迎したい。

これらの若者たちに共通するのは、与えられたチャンスを生かそうと努めていることだ(私が若いとき、残念ながらその才能も力量も持ち合わせていなかった(笑))。家庭、経済、教育などの条件が影響して、チャンス一つさえ得られない若者のほうが圧倒的に多いのが残念な現実である(もちろんその中でも、20代後半以降にチャンスをつかんで大成する人はいくらでもいる)から、恵まれた環境にある若者には、それを生かして結果を出してほしいものだ。

過去の例で言えば、野球の斎藤佑樹投手(32)と田中将大投手(32)。2006年の高校野球では、甲子園で死闘を繰り広げた二人である。田中投手は高卒後に楽天入りして、連年輝かしい成績を上げ、2014年からは渡米してヤンキースの中核投手となり、年俸は25億に至る。他方、斎藤投手は大卒後の2010年に日本ハム入りしたが、デビュー前から指摘されていたフォームの改造を先送りにしたところ、初年度から故障の連続を招き成績は低迷が続いたため、年俸は1,250万まで低下した。フォームだけが原因ではないだろうが、チャンスを生かせなかったために結果を出せず、ライバルの200分の1の評価に甘んじている(次年度がラストチャンスかと言われているが...)。

いまの若者はどうだろうか。直接知っているわけではないが、報じられている知名度の高い人たちの中から、何人かの例を挙げてみよう。

山本みずき氏(25)、同じ発音の俳優さんとは別人。2015年に集団的自衛権をめぐる政治抗争が起きた際に、抗議活動を繰り広げた学生団体シールズのあり方に対し、冷静に疑問を投げ掛けて注目された論者である(当時20歳)。ここで論壇デビューのチャンスを与えられたわけだが、その後、慶大の大学院博士課程でおもに英国政治を専攻しつつ、氏は着実に成長、発信を続けている。一方に偏らず現実を踏まえた議論を展開できる数少ない人物だ。いまのメディア露出度は決して高くないが、急ぐ必要はないであろう。いずれ政治学者として大きな実績を上げることが期待されている。

花田優一氏(25)はご存知の通り、両親が名横綱と名アナウンサーであり、メディアに露出すると「鼻持ちならないお坊ちゃん」と見なされがちだ。本職は靴職人だと言っているが、他方で歌や絵画などのタレント活動にも余念がないだけに、本気度を疑わせる向きも多い。受注した靴が納期に間に合わなかったことを理由に、芸能事務所を契約解除されたことも報じられている。しかし2018年に、氏はイタリアの「PITTI IMAGINE UOMO」に靴を出品させてもらい、また将来注目すべき若いクリエイターに贈られるベストデビュタント賞を受賞している。チャンスを与えられたのだ。私自身はオーダー靴の世界とは無縁なので、氏が製作する靴が一定以上の水準なのかはわからない。仕事の評価は氏が作った靴を履く顧客たちや、全国の同業の巨匠たちから下されるべきであろう。本気で靴職人として大成したい思いが強いのであれば、仕事で結果を出してほしいものである。

久保建英選手(19)はサッカーの日本代表(2019-、現在最年少)であり、2017年からFC東京、2019年にスペインへ渡ってレアル‐マドリードに所属した。今年8月からビジャレアルに期限付きで移籍したのだが、ウナイ‐エメリ監督の起用方法が議論になっている。なかなか先発に起用してもらえず、出場しても十分な結果を出せないので、移籍まで取り沙汰されている状況だ。チャンスを生かせない同選手の側に課題があるのか、それとも監督側に起用ミスがあるのか? 小宮良之氏がSportivaで興味深い意見を述べているので、関心のある方は参照されたい。一言で要約すれば、「誰にも文句を言わせない仕事をしろ!」となるが...

藤井聡太棋士(18)こそは、与えられたチャンスをしっかりモノにしていると言えよう。昨年の王将戦では、事実上の挑戦者決定戦まで駒を進めながら、広瀬章人八段に大逆転で敗れて涙を呑み、史上最年少でのタイトル挑戦を逸した。そしてコロナ禍による緊急事態宣言のため、4・5月は愛知県から東京や大阪へ移動できずに対局延期が続き、決勝トーナメントのベスト4まで進出していた棋聖戦の進行が止まってしまった。移動解禁後、日本将棋連盟は棋聖戦の準決勝、決勝(挑戦者決定戦)、挑戦手合五番勝負第一局を、一週間の中に詰め込み、わずかに(それまでの記録より三日早い)最年少挑戦の可能性を与えた。同棋士は見事にその期待に応え、準決勝で佐藤天彦九段(元名人)、決勝で永瀬拓矢王座を連破して挑戦者となり、渡辺明棋聖(現名人)を3勝1敗で降してタイトルを奪取したのだ。続けて木村一基王位にも挑戦して王位を奪取し、史上最年少の二冠王となったことは周知の話。

あくまでも例として掲げたが、この四人に限らず、若者の将来は、大事な節目に集中力を発揮し、継続して努力精進できるかどうか、それ次第で変動する可能性は大きい。多くの若者たちには、ひとたび目の前にチャンスが到来したら、それを逃さずに飛躍して結果を出してほしいと願っている。

2020年12月 6日 (日)

どのような過程で自分を選んでもらったのか?

介護部門で数々の執筆をされているジャーナリスト、藤ヶ谷明子さんから、7年ほど前に「ケアマネジャー評価表」なるものをいただいた。かの(現場の実態を反映しているとはとても言えない(-_-;))「情報公表」の項目とは違い、市民側の視点で作られた簡便な評価表なので、いまでも毎年、自己評価に活用している。

その中に「初回訪問時、なぜ自分(自事業所)が選ばれたのか(地域包括からの紹介、ネット、自治体の一覧表etc)を確認しているか」との項目がある。正確に表現すれば、「初回訪問時、『どのような過程で自分(自事業所)を選んでもらったのか?』を確認しているか」となる。

今年もこの項目は4段階評価の「4」を付け、「いつもインテーク時に聴取している」と記載した。

さて、記載しているうちに、最近は「ご紹介(行政・医療機関・介護事業所などの関係機関からの)」の利用者さんより、「ご指名」の利用者さんが増えたなあ、と気が付いたので、数字を比較して整理してみようと思い立った。

どこで線を引くかが難しいところだが、あいまいにしてはいけないので、

・利用者さんやキーパーソンさんが「こういう希望に該当する居宅介護支援事業所は無いですか?」と関係機関等に相談し、当該機関から第一候補として私に連絡が入った。
・「ご指名」を受けてお邪魔している方の親族に当たる方の予防支援を、地域包括支援センターから委託された。
→この場合は、たとえ事実上の一択であっても、「ご紹介」に含める。

・親戚や友人から「ここのケアマネさんがいいよ」と勧められ、利用者さんやキーパーソンさんが私に連絡してきた。
・かつてご家族の誰か、または(施設入所前などに)当のご本人の担当介護支援専門員であったご縁から、利用者さんやキーパーソンさんから改めて私に連絡してきた。
→これらの場合は、たとえ起源をたどれば関係機関からの紹介であっても、「ご指名」に含める。

このルールに基づいて計算したところ、以下の結果になった。

◆2002年12月(当時の上限件数50名に達した時点。ただし、給付管理が発生していない方が2~5名程度あった)

・ご紹介 40名
・ご指名 10名 → 20%
   *そのうち、認定調査(当時は新規申請分の委託もあった)終了後に、「あなたがやってくれるか?」と当所へ居宅介護支援を依頼してきた方が6名なので、
   *純粋な意味での「ご指名」は4名 → 8%

◆2020年12月(居宅支援・予防支援合わせて25名。ただし、給付管理が発生していない方が3名)

・ご紹介 12名
・ご指名 13名 → 52%!

これまでのエントリーで述べてきた通り、私は2014年ころから、亡き母が支援や介護(2017~18)を必要とする状態になったことを契機に積極的な営業をせず、母の他界後には自分自身の加齢も考慮し、結果的に仕事量や範囲を縮小している。それでも、いまの利用者さんの過半数が「ご指名」なのはたいへん嬉しい事実である。

つまり、私がもっと若かったり、家庭介護を抱えていなかったりしたら、一人でいまの二倍近くの仕事をこなしていただろうから、関係機関からのお情けに頼らない「士業士」として、順調に生業が成り立っていたわけだ(人を雇わず一人で食べていく分には、であるが...)。特定事業所加算を取得して三人以上で居宅介護支援事業所を形成しなくても、一人親方で自立した営業が可能なのである。「個」としてのケアマネジャー(≧介護支援専門員)はそうあるべきだと思う。開業当時に自分が希求した「腕一本でメシを食っていける」形態を、一応達成したことになる。

もちろん、これは介護報酬の動向にも左右される。今後この「士業士」の形態を目指す若いケアマネジャーの方々は、保険外の仕事をどんどん開拓していくことが望ましい。これは以前から唱えている通りだ。私の年代で、地域の職能団体の役員まで務めていると、なかなかそこまでする余力がなかったが...

さて、長い間には、逆に利用者さん側から(施設入所や転地などではない理由で)解約されたこともしばしばある。しかし、過去に解約された利用者さんは、必ずしも「ご紹介」の方ばかりではない。「ご指名」の方でも、「いったんはあなたを選んだけれど、やはり他のところにする」となった方が何名かいる。私の業務スタイルでは仕事の進め方にパーソナルな側面が比較的強く反映されることは否めず、利用者さん側の「好き嫌い」や相性の悪さが顕在化すると、長期的に継続できなくなったこともあった。これもまた、「士業士」型だからこそ、しばしば起こり得る現象だと割り切っている(居宅介護支援事業所内の担当者変更ができないから)。

また、当然のことながら、私自身、「ご紹介」だろうが「ご指名」だろうが、どの利用者さんも「お客様」として大切にする気持ちに変わりはない。細かいことだが、利用者さん宛に封書を送るときには84円の記念切手を使うことが多い。その際に「選んでもらった過程」など関係なく、お一人ごとのお好きな図柄を推測し、気を遣いながら貼っている(ハズレがあるかもf(^_^;))。

ところで、このエントリーには、勤務(「宮仕え」)の介護支援専門員たちを過小評価する意図は決してない。独立型と勤務型とが、車の両輪のごとくお互いに高め合っていくことが理想であろう。そのためには勤務型の介護支援専門員にも一層の自覚が求められる。力量が未達なまま漫然と働き続け、資質向上への意欲も薄く、母体法人や事業所に依存して給与や賞与をもらっているようでは、半人前だなぁと見なされてもしかたがない。

どのような立場のケアマネジャーであれ、自分の力で顧客の信頼を勝ち得ていく「プロフェッショナル」の誇りを持って仕事をしたいものだ。

2020年7月29日 (水)

エンドユーザーの利益は?(2)

2020年版「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる「骨太の方針」が政府から発表された。

斜め読みしかしていないが、大枠の方向性は一通り理解した(つもりだ)。

Facebookを見ていると、保健・医療・介護・福祉分野に関連して、心ある業界仲間たちの多くが着目しているのは、「介護分野へのAIの活用」と「医師による社会的処方」の二か所のようだ(どちらも32頁)。

前者は、「感染症の下、介護・障害福祉分野の人手不足に対応するとともに、対面以外の手段をできる限り活用する観点から、生産性向上に重点的に取り組む。ケアプランへのAI活用を推進するとともに、介護ロボット等の導入について、効果検証によるエビデンスを踏まえ、次期介護報酬改定で人員配置の見直しも含め後押しすることを検討する。介護予防サービス等におけるリモート活用、文書の簡素化・標準化・ICT化の取組を加速させる。医療・介護分野のデータのデジタル化と国際標準化を着実に推進する。」と記載されている。業界仲間の間では、対人サービスである介護やケアマネジメントの中に、AIをどう活用していくか、本当に人材不足解消につながるのかなどが、おもな論点になっている。

後者は、「かかりつけ医等が患者の社会生活面の課題にも目を向け、地域社会における様々な支援へとつなげる取組についてモデル事業を実施する。」と記載されている。こちらは、ソーシャルワークやケアマネジメントの中ですでに実践されてきた「生活モデル」と、医師の「医療モデル」に基づいた「社会的処方」とがマッチングするのか、適切に役割分担できるのかが、おもな論点である。

さて、この二つの部分について、別の視点から眺めてみたい。

「エンドユーザーの利益は守られるのか?」

まずAI・ロボットの活用について。開発・販売する業者にとってみれば、直接的な顧客になるのは介護事業所であり、そこに勤務する職員である。したがって、AIを活用したICT機器やロボットは、介護職員やケアマネジャーが効果的に活用することによって、人が担うべき業務を省力化できるものでなければならないのは、言うまでもない。
しかし、その機器やロボットによって介護、支援される対象は、高齢者や障害者などの要介護者なのだ。機器やロボットの「エンドユーザー」に該当する受益者となるのは、その要介護者の人たちにほかならない。もし開発・販売する業者が、介護職員やケアマネジャーにとって使いやすい面だけに力を入れても、その製品によって介護される人、その製品によってアレンジされたケアプランによりサービスを位置付けられる人にとって、使い心地の悪いものであれば、「仏作って魂入れず」になる。かつて拙著で紹介した株式会社Abaなどの、例外的な一部の企業を除けば、その懸念は相当以上に大きい。

それから社会的処方について。医師が患者の社会生活面の課題に目を向けることは大いに結構であり、推奨してほしい。
しかし、そこに診療報酬が付与された場合、しばしばソーシャルワークやケアマネジメントにおける生活モデルと齟齬する場合が生じる。常に後者のほうが良質だと言うつもりはないが、「餅は餅屋」の言葉に象徴される通り、それぞれの職種にふさわしい役割が存在するはずだ。医療の「エンドユーザー」は患者である。社会生活全体を広い視野で眺められる優れた「家庭医」的な医師も存在する一方、多忙で5分程度しか診療時間が確保できず、患者を医学的な面でしか理解できない専門医等の医師も存在する。エンドユーザーの利益を鑑みれば、社会学的な要素を加味した診断の不得意な医師が「社会的処方」をすることにより、患者側の混乱を招く事態になってほしくないのが、正直なところである。

このように、この二つの施策は原案のまま生硬に推進するのではなく、本旨に沿った運用が順調になされるのかどうか、モデル事業の時点でエンドユーザーの声を十分に採り入れながら、前へ進めていくべきだ。

他の施策も含め、一つ一つの施策がそれぞれ、「直接利用するユーザー」だけではなく、「エンドユーザー」のほうをしっかり向いているのか? を吟味していくことにより、その適切さの度合いを測る尺度が見えてくると思う。

「布マスク配付(第二弾以降)」や「Go to キャンペーン」が不評なのは、施策がどこかの誰かのほうを向いているからにほかならない。もちろん、現実には繊維産業や観光産業など、関連する産業側の事情も存在するだろうし、それらの業界への保護策も重要な国家的な課題であるだろうから、理想通りにはいかないことは承知している。しかし、多くのエンドユーザーたちが抱く気持ちからあまりにも外れ、供給側に連なる特定の集団を利する結果になってしまえば、国民からの風当たりが強くなるのは当然だ。政局に当たる人たちには、誰のための施策なのか、三思しながら日々の政務に精励していただきたい。

国民の一人として、それを心から願っている。

2019年5月29日 (水)

メッキは剥がれると思え!

ファンを大切にしない芸能人やアスリートが、業界からホされる事件が、ときどき起こっている。

最近も、二人のメンズモデルがファンから贈られたプレゼントを蹴ったり踏み付けたりしながら罵倒する動画が出回り、彼らは開催中の企画側から出演を禁止された。このテの行為をするバカモノは、ホされて当然だ。

しかし、まだこれらのタレントは、本性をあっさり露呈してしまっているだけマシな連中なのかも知れない。

「可愛い」...と言うと語弊があるが、若さゆえの傲慢さもあるだろう。自分たちの愚行を反省しつつ、いずれは品格を磨き、成長することを望みたい。

さて、この連中よりも忌み嫌われるべきなのは、相手を見て態度を変える人間ではないかと思う。

顧客≒利用者に相対するとき、貧しい人や立場が弱い人の前では尊大に、横柄に振舞い、富める人や立場が強い人の前では遜(へりくだ)って丁重な態度を示す。

残念ながら、私たちの介護業界でも、数は少ないものの、一定程度の割合でそんな人たちがいるのも現実である。

業界全体がそうだと思われたくはない。どのような立場の利用者さんに対しても誠実に仕事をしている善良な仲間たちの、足を引っ張らないでもらいたい。

そんな「相手によって態度を変える」人たちに一言。

富める人や立場が強い人の前でだけ丁重なサービス提供者を演じても、あなたのメッキは剥がされていると思ったほうが良い。

考えてみれば、これは当然である。地位の高い利用者さん(おもに高齢者)たちの多くは、修羅場を潜り抜けて財産や地位を獲得・維持してきたのだから、長年の経験から人を見る目も備えている。あなたの丁重な態度が、自分を「人」として尊重しているからなのか、それとも自分の財産や地位に対するものなのか、見抜くのは大して難しいことではない。

「こいつ、私の前では謙譲に見せかけているけど、社会的弱者の前では横柄なんだろうな」

そんなことは、何回か面談してコミュニケーションを取るうちに、あなたの振る舞いのどこかでボロが出て、相手は敏感に覚っている。恐らく、気が付いていても、そ知らぬ振りをしてあなたに相対するだろう。そういう人物は、あなたのような「小人」をせせこましく咎めることはしないからだ。

そして、そんな「客商売にふさわしくない」あなたの態度は、いずれ仕事上の破綻を招くだろう。

そうなる前に、胸に手を当てて自分を省みてほしい。そして抜本的に考え方を改め、財産や地位に関係なく利用者さんをリスペクトする姿勢に転換すれば、多くの利用者さんが、心を入れ替えたあなたを信頼してくれるに違いない。

その変容こそが、メッキの下の醜い中身を、美しく変えることができるのだ。

2019年3月26日 (火)

ダメなコンサルの見分けかた

経営コンサルタント(以下、「コンサル」という)なる職業がある。

私が身を置く介護業界でも、昨今の制度改正...と言うよりむしろ改悪による、事業経営の厳しさを受けて、コンサルに対する注目度は高まっているようだ。

ところで、これは(ケアマネジャーも含め)どの職種にも言えることだが、コンサルも資質・能力の落差が大きい。

残念なことに、私が過去、仕事上で出くわしたコンサルは、いずれも能力に問題ありと言い切って差し支えない人物であった。宮仕えのときから現在に至るまで、コンサルを名乗る何人かの人物とさまざまな形で接触する機会があったが、「これはダメだな」「このテの人とご縁を持ちたくない」と感じた人ばかりだったと記憶している。早い話が、コンサルとしては用無しの人だ。

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むろん、そのレベルの人ばかりではなく、優れたコンサルも数多く存在する。実力十分であるコンサルの方に出会えた法人や事業所は、好いご縁によって良い仕事ができる可能性が強い。幸せであろう。

しかし、玉石混淆の中から見分けるのは、なかなか難しい。

そこで、あなたが事業経営者や事業所管理者の立場にあり、組織を代表してコンサルを依頼することになった場合に、ご参考にしていただける、ダメなコンサルの見分けかたを伝授しよう(^^)v

(1)財布のヒモをゆるめないコンサル

「ケチ」と同義語ではない。節約して効果的にお金を使う、良い意味での「ケチ」はむしろ評価されるべき。ここでは、「初期投資をしない」意味に取ってほしい。
まずは、あなたが自分の会社や事業所で作った製品(なければ、著書でも自作のアイディアでも何でも良い)をコンサルに売ってみよう。ちゃんと自分がお金を出して入手した上で、その価値について論評するのが有能なコンサル。〔モノによって、すぐ買えるもの、購入しにくいものの差異はあるにせよ、〕その商品を端(はな)から買う気がないコンサルは、「おたくの組織に関心を持っていません」と言っているのに等しい。本気度を疑うに十分だ。

(2)組織の内部に入って観察しないコンサル

コンサル選びで失敗する最大の原因は、たいてい「組織を外からしか見てくれない」ところにある。いつもスーツ姿で改まって来社・来所するのではなく、社員や職員と同じように地味な、またはラフな服装で事業所の中に入り込み、時間をかけて人の動きを観察しながら、課題の核心を抽出し、アセスメント(事前評価)するぐらいは、仕事の入口では当たり前だ。その姿勢に欠けているコンサルに頼るのは、あとで時間やお金の無駄遣いになる公算が大きい。

(3)働く人に敬意を払わないコンサル

まず、ステータス差別。たとえば会社の清掃員があいさつしても、あいさつを返さない人はレッドカード。それから、年代や性別による差別。たとえば20代の女性社員を軽く扱って「若い女の子」などと表現する年輩の人(おもに男性コンサル)などがこれに相当する。自分たちの世代の、それも特に男性に対する過剰な自負の意識を持っていれば、ニュートラルに社員・職員を観察することなどできない。
組織は働く人の集合体である以上、属性に関係なく、それを構成する全員が主役。一人ひとりの「人」を尊重しないコンサルに、組織に対して的確に助言できる資質があるはずはない。裏を返せば、そのコンサル本人こそ、自分自身が見下しているレベル程度の価値しか持たない人間なのだと、アイロニカルに評価するのが良いだろう。

(4)その事業の利用客を最優先に考えるコンサル

これは意外かも知れない。だが、利用客・顧客(≦その組織から見たステイクホルダー)満足度の向上は、その組織側の人間が考えることなのだ。コンサルの出番ではない。
コンサルが利用客最優先の指導・助言をしたらどうなるか? 利用客の要望を極大化させた理想論が先行して、働く人たちに無理を強いることも出てくるだろう。そうなれば職場に対する不満も増えて、サービスの質が低下する。
コンサルの仕事は、働く人がその職場で働きやすいように仕向け、働く人が余裕を持って利用客を尊重できる環境を作ることだ。ここを間違えているコンサルの指導・助言は、ピント外れになってしまう恐れが強いので、要注意である。

(5)地位の高い人物、著名な人物や団体との関係をチラつかせるコンサル

このテの話は、いわば「虚仮(コケ)脅かし」の類であり、実際には名前が出ている人や団体と有機的なつながりを持たない空虚な関係であることが多い。自分の存在を大きく見せたいがために、そんな話ばかりするのだ。ホンモノの大物コンサルから、そんな話はめったに出てこない。虎の威を借りなくても、おのずと品格や力量を備えているのだから。

以上、おもな点を掲げてみた。他にもあるのだが、それは機会を改めて。

このように整理してみると、この5条件、たとえば(2)(3)(5)は「ダメな主任ケアマネジャー」とも共通するし、コンサルに限った話ではない。人として、専門家として信頼に値するのかどうかは、業種や職種を超えて共通する面が多いようにも思われる。

ま、とにかく、こんな時代だ。あなたやあなたの組織が三流・四流のコンサルにダマされて、お金をドブに捨てる羽目にならないことを願う。

2018年12月 5日 (水)

教育機能の欠如

12月に入り、忘年会シーズンたけなわである。

 

ところで、私は宮仕えしていたとき(合計15年余)、最初の2~3年を除いて、その後は職場の忘年会に出るのがあまり好きではなかった。

 

「なぜだろう?」とことさらに問い返したこともなかったのだが、いまになって思い返してみると、単なる職場内親睦のための「息抜き」「浮かれ騒ぎ」に終始してしまっていたことが、大きな理由だった。

 

たとえば、同じ時期に出ていた社会福祉士会の忘年会では、杯を傾けながら、福祉業界におけるさまざまな分野での、クライエントへのアプローチの違いや苦労したエピソードなどを語り合い、視野を広げることができた。また、外国人労働者支援団体(ボランティア)の忘年会では、楽しく食事するためのマナーを分かち合うところから、文化、宗教、思想など多岐にわたるまで、熱く意見を交わすことができた。

 

残念なことに、旧勤務先の忘年会には、その類の収穫がなかった。せっかく他社からゲストを呼んでも、そのゲストとの「間」の取り方(「親しき中にも礼儀あり」)を教わるわけでもなく、歌や隠し芸や世間話・噂話が主流になっていた感が強い。

 

介護支援の技術にしても、ビジネスに臨む姿勢にしても、何かを一からしっかり指導・伝授してもらった記憶があまり残っていないことを考えると、全体として、職場の教育機能が乏しかった印象である(あくまでも私が在職していた当時の状況であることを、お断りしておく)。それが忘年会の様相にも影響していた。

 

同様な職場は、業界を問わず各方面に散見される。建設業をはじめとして、人手不足を嘆く事業所が多いが、教育機能が欠如しているために人が集まらない、定着しないことを理解していない事業所が少なくない。

 

若手に魅力のある職場では、実際に優れた上司(中間管理職)や先輩社員がいて、部下や後輩に対する教育機能が充実している。そこで育った若手がやがて中堅になって、こんどは後進に対して優れた指導をしていく、好ましい連鎖が続く。

 

そのような事業体では、「人」を大切にする。坂本光司氏(経営学者)は、企業が一番大切にすべき対象は「社員とその家族」だと述べているが、至言である。

 

メディアにときどき取り上げられる秋山利輝氏が率いる横浜の秋山木工。全寮制で5年間ストイックな生活を強いる「現代の丁稚制度」を続けているため、ブラック企業だとも評されているようだ。しかし関連情報を調べた限り、職人から丁稚へ、兄(姉)弟子から弟(妹)弟子へ、一つひとつ念入りに木工の技術を伝達しながら、ものづくりの精神をしっかり継承させる方式が確立しているとのことだ。秋山氏の方針で、同社の丁稚は年二回しか帰省できない代わりに、家族との手紙のやり取りは頻繁にしているとのこと。厳しい「修業」に耐えられずに脱落してしまう若者も多いようだし、時代にそぐわない面もあるかも知れないが、教育機能自体はたいへん充実した事業体だと言えよう。

 

これほどではないにしても、現場ではプロフェッショナルとしてあるべき姿、技術や心構えをしっかり伝授していくことが大切である。「上司や先輩も忙しいんだから、自分で見て覚えろ」では、本当に現場で使える社員(職員)が育たない。

 

介護業界に話を戻すと、これから地域で望まれる施設や事業所にしていくためには、現場での教育機能の充実が必須条件だ。株式会社、社会福祉法人、医療法人、NPOなどの種別を問わず、この機能を持たない事業体には、先細りの運命しか待っていないであろう。

 

市民にとってみれば、そのようなところで劣悪な介護を受けるよりは、早くツブれてくれて、優良法人に合併してもらったほうが、幸いだとも言える。

 

教育機能の欠如は、経営者にとっても死活問題だと認識してほしい。

2018年10月17日 (水)

1分なら遅れても良い???

私が「プロフェッショナルの心構え」を本格的に学び始めたのは、開業する前年、39歳のときだ。

 

こう言うと、「なら、それまではアマチュアの感覚だったの?」と思われるかも知れないが、もちろん、それ以前も職業人としての自負はあった。しかし、勤務先では「プロの心構え」の類を体系的に教わる機会に乏しく、また残念なことに、上司や先輩の多くが、プロの資質に欠ける面を少なからず持っていたことも影響して、「こうでなければプロではない」条件をあまり意識することはなかった。

 

そのため、開業して何年かのうちに、利用者さんや介護者さんに叱られ、恥をかきながら、「プロの心構え」を曲がりなりにも身に着けることになった。私を叱責してくださった方々のおかげで、いまでは逆に、後進を指導する場で、私のほうが「プロの心構え」を説く機会をいただいている。

 

そして、大切な心構えの一つが、時間厳守の姿勢である。

 

ケアマネジャーの場合は、おもに月例の居宅訪問や、サービス担当者会議への出席(私は駐車場所も無い小さな事務所しか持っていないので、いつも利用者さんのお宅や他事業所に場所を借りている)の際に、定刻を守るように心掛けることである。

 

昨日訪問した利用者Aさんの介護者Bさんから、こんな話があった。

 

「Aも私も、自分で会社を経営してきました。〔二人の業種は異なるが、〕どちらも時間を守らないと信用を失う仕事だったため、いつも十分な余裕を持って行動していました。なので、あなたやあなたの紹介するサービス事業者さんには、決めた時間をしっかり守っていただきたい」

 

このAさん・Bさんとは二年近いお付き合いだが、利用当初のころからそう言われていた。約束しておきながら若干遅刻して、謝罪しなかった事業者に対しては、容赦なく苦情が浴びせられた。

 

私自身、過去、別の利用者さんの介護者さんから、苦情を言われたことがある。「自分は仕事を持っているから、定時で動いている。遅れる場合は必ず事前に連絡してほしい」。ちなみに、そのとき遅刻したのは、定刻からわずかに1分。

 

あとに仕事や所用を控えている人にとっては、1分でも遅れてこられると迷惑なのだ。私が来宅したときに要するおよその時間を測った上で、次の行動予定を入れる。当然ながら、後ろへずれてしまうと、あとの時間設定が厳しくなる。「1分ぐらいなら遅れても良い」などという論理は、相手次第では通用しないのである。

 

Aさん・Bさんのように、遅刻に対して不快感を示す利用者さん(または介護者さん)は、常に3~4名はおられるので、遅れる可能性がある場合には必ず事前にお断りして了解を得ることにしている。もちろん、それ以外の方も含めて、すべての利用者さんに対し、交通事情などのやむを得ない理由により1分でも遅刻した場合には、必ず「少々遅くなりまして申し訳ありませんでした」と陳謝している。例外として、定刻より早過ぎると困ると言われている場合に限っては、逆に意識して定刻ちょうど、または若干遅れて訪問することはあるが。

 

業種によっては、時間があまり厳密でなく、ゆるいところもあるだろう。しかし、それらの業種では、「○時□分ピッタリ」を守らなくても、お客≒受益者を待たせることがない業務内容である場合が多い。

 

裏を返せば、日時を定めて居宅訪問し、またはサービス担当者会議等に出席するケアマネジャーの多くが、「1分程度なら遅れても良い」と思っているのであれば、市民からも「利用者を待たせて負い目を感じない程度の職業」としか評価してもらえず、報酬や社会的地位が上がることは望めないであろう。

 

それは、『これでいいのか? 日本の介護』P.63~65に記述した、利用者さんにタメ口を利くケアマネジャーや、業務上の秘密を守らないケアマネジャーと同レベルだと言っても良い。

 

「お客さんを1分でも待たせるのは恥ずかしいことだ」と思うケアマネジャーが、増えてほしいものである。

 

 

 

 

2018年9月18日 (火)

プロフェッショナルはどうあるべきか?

私の事業所の開業記念日は三つある(^^;

 

8月17日 看板「ジョアン」を掲げた日(17年前)

 

9月15日 居宅介護支援事業所ジョアンの指定を受けた日(同上。浜松NPOネットワークセンターに宿借りさせていただき開業した)

 

10月1日 有限会社ジョアンで仕事を始めた日(14年前)

 

どの日も私にとって大切な日だ。

 

一昨年の10月1日に15周年記念企画(ご参加は午後・夜間合わせて14都府県66名)を開催し、昨年の8月17日には16周年の交流会=二時間だけの飲み会(ご参加は5道県13名)を持った。今年は9月15日が土曜日に当たるので、4~5名でも集まっていただければ嬉しいなと思いながら、図々しく「開業17周年...を口実に飲もう会」を呼びかけてみた。

 

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結果、4県8名の方々が参加してくださった。在宅複合型施設・長上苑の施設長で、県ケアマネ協会の副会長でもいらっしゃる鈴木さん、北区でケアマネジャーをされている中川さん、西区で中古セニアカー販売業をされている中山さん、民間保険会社でお仕事をされている元介護支援専門員の松下さん、聖隷クリストファー大助産師専攻科教授の久保田君枝さん、神奈川県秦野市で協働型の独立居宅を運営されている松田智之さん、愛知県豊川市で介護事業の経営に携わっておられる平田節雄さん、奈良県在住で介護事業所の環境整備のため各地を回って指導しておられる山下総司(そうし)さんが、この二時間の飲み会のために集合してくださった。特に鈴木さん、中山さん、松田さんは三年連続のご参加となる。

 

それぞれお仕事の分野や活動されている地域が異なり、介護業界内外にわたる広い範囲になるが、どなたも周囲からの信頼が厚い方であり、とても心強い仲間だ。

 

まずは自己紹介から始まったが、主題になったのはもっぱら、介護に関連する専門職≒プロフェッショナルのあるべき姿である。今回は、利用者本位、現場業務の改善、人手不足、介護職の意識、医療連携、職員教育等々、「自分たちは何を基盤に仕事をすべきか?」を強く打ち出したミーティングになった。特に、看護師が介護現場の中で福祉系職員とどのように協働していくのかに関して、久保田さん、平田さん、松田さんが三者三様の立場で持論を述べ、そこに他のメンバーの意見が絡んで、実に興味深い展開となった。

 

また、介護職の今後のありかたについて、少し異なる業界で働く松下さんや、少し離れた立場の中山さんからの見方は、とても貴重であり、参考になった。

 

締めは山下さんのご見解。私たちが飲食したあとテーブルをわざわざ消毒するわけでもないし、私たちは決まって三時におやつを食べるわけではない。なのに全利用者に対してそうするのが当たり前になってしまっている施設が少なくない。業務のルーティーンに捉われて大切なものを忘れてしまっていないか? という投げ掛け。まさに、介護に携わるすべての人が振り返るべきことであろう。重みのあるお話であった。

 

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今回はやや広めながら、全員で一つのテーブルを囲みながらの会食であったため、お互いの顔が見えるインティミットな議論ができたことは、一つの大きな成果だと言えよう。勝手な推測だが、参加したメンバーの多くにとって、学び、持ち帰ったものは少なくなかったと思われる。

 

所用で早々に帰られた方もいたため、全員ではないが、お開きのあと集合写真(画像)も撮ってもらった。残念ながら、この日は「記念クーポン」を用意していなかったので、後日、みなさんに些少なりとも何か差し上げようかと考えている。

 

自分としては満足度大の飲み会。今後も業界内外の仲間がそれぞれの仕事に勤しむ中、私たちの常識が社会の非常識になってしまわないためにも、ときどきはこのような分かち合いの場を持ちたいものだ。

 

 

 

 

2018年7月30日 (月)

多職種協働には二種類ある

ケアマネジメントの標準化とか、ケアマネジャーの資質向上とかいった言葉が、私たちの周りを迷走しているようだ。それも、ケアマネジャーたちがおもに医療関係の人たちから、いわば宿題を突き付けられ、それをこなすために必死になっているのが現実だ。

 

個人的に言わせてもらえば、これはあまり芳しくない。医療の下支えをするのがケアマネジャーの職能ではないからである。

 

介護保険制度の開始に伴い、制度上の「介護支援専門員」として位置付けられたケアマネジャーにとって、本来果たすべき役割は、これまで縦割りになっていた保健・医療・福祉を横断的に結び付け、一人ひとりの利用者の生活課題に即して、必要なサービスを調整することであったはずである。

 

そのためには、ケアマネジャーが現在の高齢者・障害者医療を概観し、どの分野で何が行われているかを知っていなければならないのは当然である。しかし、それはケアマネジャーが医療知識を詰め込むべきだという意味ではない。

 

むしろ、一つの分野だけに該博にならなくても、保健・医療・福祉の各分野に対して均等に理解を深め、横断的な連携を図ることがケアマネジャーの役割であろう。すなわち、多職種協働=IPW(inter-professional work)である。

 

ところで、このIPWは大きく分けて二種類の形態を採ることをご存知だろうか?

 

一般的なIPWでは、ケアマネジャーとか、医師とか、地域包括支援センターとか、その他の事業所・機関などが、利用者や介護者からの相談を受け、利用者の生活課題に沿った介護サービス等のサービスを紹介する。こうして揃った各種別のサービスを横断する形で、ケアマネジャーがケアプランを作成し、それぞれのサービスに従事する担当者が生活課題達成のために協働することができるように、サービス担当者会議等の機会を設けて連絡調整を行う。これを仮にIPW「A」としよう。

 

しかし、割合はたいへん少ないものの、もう一つの形のIPWが存在する。こちらを仮にIPW「B」としておく。

 

このIPW「B」に該当するのは、おもに、利用者や介護者が企業経営者や士業士などの場合である。それぞれが社会奉仕団体(ロータリー、ライオンズ、ソロプチミストetc.)等の場で同業他社や異業種の企業経営者等とのネットワークを作っているから、この中からIPWが生まれるのである。すなわち、利用者や介護者が自ら、「医療なら〇〇病院の理事長に」「住宅改修なら△△株式会社の社長に」といったやりかたで、サービスを選択していく。いわば社長同士の信頼関係を踏まえた「利用者・介護者による選択権」が最大限に行使されるのだ。

 

この形態の場合には、ケアマネジャーにとっての課題がいくつか生じる。

 

まず、居宅介護支援事業所がたとえば地域包括支援センター等からの紹介で選任された場合、ケアマネジャーが初回訪問したときにはすでにサービス利用が内定しており、アセスメントが後回しになってしまうことがある。ここでケアマネジャー側から白紙に戻すような提案は、利用者や介護者の顔をつぶすことにもなりかねないので、よほどのミスマッチでない限り、なかなか切り出しにくい。

 

次に、相手側経営者の「顔」でサービスを選ぶのだから、利用者の生活課題からノーマティヴに判断すれば、最善の選択でなくなる可能性も少なくない。ケアマネジャーの目で見て、「確かにそこでも良いのだが、こちらのほうがさらに相応しいのでは?」と思われるサービスがあっても、候補から外さざるを得ないことも起こる。

 

それから、何のためにそのサービスを選ぶのか、長期目標や短期目標に相当する選択の趣旨が不明瞭になることがあり、特に依頼された「理事長」「社長」がその認識に薄いと、部下の担当者に対して説明ができていないから、ケアマネジャーがあとからケアプランの整合のために苦慮することもあるだろう。

 

最後に、これが最大の問題なのだが、IPW「B」の構造になっているのにもかかわらず、ケアマネジャーがIPW「A」のつもりで臨んでしまうと、適切なケアマネジメントができないことだ。利用者や介護者にとってみれば、自分を中心に「○○理事長」「△△社長」が介護に関わる「仲間」であり、そこに(それも末席あたりに)ケアマネジャーが加わっている認識である。特に被用者である介護支援専門員ならば、たとえば〇〇理事長の部下である担当者Cさん、△△社長の部下である担当者Dさんなどと同列になるのだから、ある意味、当然の認識なのだ。

 

したがって、ケアマネジャーがCさんやDさんとサービス担当者会議を行ったり、電話やFAXで連絡調整したりする際には、常に利用者または介護者が、「○○理事長」や「△△社長」らとどんな関係性を持っているかを意識していないと、思わぬ失敗をしたり、気が付かないままに利用者にとっての最善から外れてしまったりする可能性がある。

 

利用者や介護者が企業経営者や士業士でなくても、サービス選択上のキーパーソンである主治医や成年後見人の考え方によっては、このIPW「B」構造のバリエーションが出現することがあるので、注意が必要だ。

 

そして、IPW「A」であろうがIPW「B」であろうが、利用者・介護者をめぐる関係性をソシオメトリックに把握し、利用者の望ましい生活へ向けての的確な連絡調整を粛々と実践していく。これがプロフェッショナルのあるべき姿である。

 

残念なことに、職場や地域のケアマネジャーを指導・助言する役割である「主任介護支援専門員」の中にも、このIPW「B」の形態について理解している人が乏しい。これは今後のケアマネジャーの職能にとって、大きな課題の一つになるであろう。

 

 

 

 

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