甚だしいメディアの劣化(2)
かつてアイドルだったタレントが何か事件を起こして、報道されるたびに思う。
知名度の高い人はいつまで、すでに脱退したグループや組織の名前で「元○○」と呼ばれなければならないのだろうか? 中には脱退して20年、30年になる人もいる。メディアの側は視聴者や読者の耳目を引き付けたいので、すぐに過去の肩書きや経歴を持ち出してくるのだが、何かあるたびに名称を出されるグループや組織の現在のメンバーにとっては、迷惑千万に違いない。
さて......、
20日、滋賀県大津市で、40歳の男性が離婚した元妻の自宅へ侵入し、元妻とその父親をクワで襲撃して負傷させ、殺人未遂の容疑で警察に逮捕された。
この容疑者が将棋の元プロ棋士(八段)であったことから、メディア(テレビ、雑誌など)は彼の棋士としての半生を延々と伝えている。もちろん、どんな事件であっても、それを引き起こした人物の経歴を報道することは常の話であり、それ自体には何の問題もない。
しかし、容疑者は2021年に棋士から引退したのみならず、2022年には日本将棋連盟から退会している。つまりプロの将棋界にとっては、いまや直接的な関わりは何もない一個人である。
にもかかわらず、少なからぬ報道の中で、容疑者と現在の将棋界とを結びつけるかのような論評が見受けられる。中には事件のタイトルに「将棋界に激震」「将棋界を揺るがす」などの表現を用いているものもある。容疑者がかつて対戦した相手として、羽生九段(永世七冠)や藤井竜王/名人の名前を出しており、あたかも将棋界の体質が影響しているかのように印象操作している(と筆者には受け取れる)社もある。
全容が明らかになっていると言えない面もあるが、この事件の輪郭は以下の通りだ。
「30代(当時)の男性の妻が、子どもを連れて家を出て行き、一方的に離婚した。男性は子どもに面会できない状態が続いていることに激怒し、元妻を相手取って子どもの親権の回復を主張していたが、結果的に敗訴した。納得できない男性は元妻を誹謗中傷し、刑事責任を問われて執行猶予付きの有罪判決を受けた。ところが、さらに精神的に追い詰められた男性は、元妻の家に侵入して凶行に及んだ」
つまり、これは子どもの親権をめぐる社会問題なのである。
すでに一昨日の事件については、共同親権の是非をめぐって、「子どもに会えない側の親が苦痛を味わうのが理不尽なので、共同親権を認めるべき(推進派)」「暴力的な親に親権を認める危険は大きく、単独親権が望ましい(反対派)」など、ネットでもさまざまな見解が飛び交っている。
日本将棋連盟は何のコメントも出していないし、出す必要もない。そもそも「将棋をめぐる事件」では全くない。
メディアが容疑者の属性として「元棋士」を強調することは、この問題の本質をきちんと報じないのに等しい。前述したネット上の意見は、これまで親権問題に取り組んでいた人たちを中心に、関心のある人たちに限られている感がある。いま、離婚や再婚、ステップファミリー、同性婚など、家族のありかたはどんどん多様化している。その中では、一人ひとりの子どもにとってどうすることが最善なのか? 筆者のような子育て経験のない人も含め、多くの市民が議論に加わるのが、日本社会の行く末のために望ましいはずだ。それこそ多様な意見を調整する役割を持つ「こども家庭庁」の出番でもある。
表題を「元棋士が...」とすれば、ミスリードになる危険性が大きい。才能あふれた高段者だったはずの元棋士の変転を嘆く人たちの気持ちは理解できるが、多くの視聴者・読者の関心が「将棋界」へ向いてしまうと、本質とは関係ない部分が大きな比重を占めてしまう。議論喚起のためにはマイナスでしかない。
ここにもメディアの劣化が窺えるのは、残念なことだと言えよう。
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